兵器攻撃の音は聞こえないのにこちらが文句を言うと耳をたててくるとか絶対ないだろ
社会にインチキやテロ行為の取り締まりがないということはたいへん恐ろしいことで、わたしたちはとんでもない暴行にさらされ続けています。どんなに理不尽でむごい扱いを受けっぱなしになっていても、社会の本来あるべき姿を忘れきってしまってはならないと思います。一応被害者と称している人を除いての話ですが、ここ18年間でまともな人物と会話できたのは10数年ほど前にキャロル・スミス氏とメールのやり取りをしたことただ一度だけでした。被害者の人と会ったのも数えるほどです。結局打開する方法は見つからず、1日1日が困難極まりない状況のままです。一般の人が正気にもどる目がないとすれば、わたしたちは永久に戻るところがないので、どこかに本物の人間が残存していると信じたいです。安楽死以外の解決はないと考える期間が長く続きましたがかろうじて生存を続けました。現代文明レベルの発想では被害者を救出する対策は到底見つかりません。その中でも加害集団の行動は非常にレベルの低いインチキな内容です。情報操作ではなく低劣なナチ蛮行が繰り返されています。私の目的は人類に伝えるべき重要な問題を伝達することですが、インチキ脳技術の氾濫によって現代の人類そのものの価値が失われてしまっているおそれがあるのです。
神経兵器の拷問はまるい刃ではなかった
電子技術による拷問苦痛は他ではみられないもので、一般の理解が得られない状況が続いている。まさに阿鼻叫喚としか言いようがないもので、果たしてこんな苦痛があるのかという気がする。刃物で刺されればそれは痛いが、見えない兵器の攻撃はまったく次元の違う内容である。しかも、この攻撃は一日に何百回も繰り返すことができる無限水爆スイッチなのだ。被害者らが直ちに停止するべきものと訴え続けているのに、一般人が異常なふるまいを繰り返すのは兵器拷問に対する大きな誤解である。苦痛を極大化する原因は遠隔モニターとの連動速度にあると考える。この連動が速ければ速いほど限りなく苦痛は大きくなってゆく。おまけにもう一つの大きな問題は、この苦痛に対する慣れというものが見られず、十年以上たっても激烈さは一定ということだ。気にしないでというのは理解のない方々に時おり聞かされる殺し文句だが、この兵器に対しては死を早めることになりかねない。一般的な苦痛に対するような生物学的防御機構は脳兵器に対しては無効であり、いくら気をそらしたり我慢し続けても苦痛が緩和されてゆくことはない。攻撃を物理的に遮断できる方法ではなければ、何度も言っているように生存を勧められる状況ではない。外部からの侵襲がない安全な状況を忘れてしまっているということは言えるかもしれない。他に可能性があるのは遠隔モニターと同じ高速な時間スケールで兵器攻撃に対応することだが、0.01から0.1秒単位でのことで、超人的な努力としか言いようのないものになる。こういった攻撃があってその上に被害者には更なる社会的困難が待ち受けている。それどころではない状況の中で絶望の淵でたたかい続けるより現在の被害者に方法は残されていない。
東京都知事の行動が庶民感覚で批判されるようでは日本はお終い
現在の世界的なポストナチス恐怖時代は、きわめて異常な状態ですが、スパイのバーターみたいな集団が選挙で増えてしまうのでは対処されないのはもっともです。最近で気になりましたのは、野田政権の時の人権擁護法案の議論ですね。あのとき相当スパイ集団による妨害の動きが広まっていたのではないかと。本来国が扱う重要な役割をあつかう法案にみえました。ところが、そこでスパイの進駐部隊として第一に動員されたものが「民意」ですね。この「民意」というのがスパイの大衆操作によってどんどん悪い方向に流されてしまっています。その影響に便乗した集団におされて、野田政権も舛添知事も結局は、統率力のなさをいかんなく発揮しましたね。スパイ集団から日本人を守るためには、まずその「民意」をどうにかしなければならないと思うのです。現在の安倍政権のような弱弱集団ではなく、日本人をまもれるリーダーシップがありません。この状況で「民意」に抗う重要な力が、悪いことのように印象付けられてしまっています。たとえば舛添知事が弁解をすればすべて悪いような放送が流されたでしょう。そういった判断は適切だったのかということです。辞めされるために放送しているのにBPOに訴えるのが効果的かはわかりません。もし、選挙公報に「美術館めぐりをします」とか「税金をもっと無駄使いしましょう」とか書かれていたら、ただの笑い話のように扱われてしまうでしょう。しかし、「民意」がつくる恐怖によって日本が危険にさらされているとしたら、いま必要なものはなにか。「民意」やそれにまとわる集団に抗せる強いリーダーがありません。
MCB100,000,000人にどうしたら自覚をもっていただけるのか
いまの被害者の状況はやはりきつい。遠隔兵器とMCBの板ばさみになりつづけ、とんでもない忍耐になっている。放置されているMCBぶりをどうにかしてもらえないものか。見せるべきものを見せなくては彼らの前のめりはおわらない。一般に公然化した特定秘密暴行のオンパレードである。これは有史はじまっていらいのテロだ。
洗脳暴行を繰り返す自爆兵活動者が人権をたてにとってあなたのおうちにやって来ます。これが日本社会の安全です。
拷問被害者にはなくてスパイ侵入者にはあるもの、それは日本人としての権利です。彼らは自分たちの都合で、法制度を整備し、殺人活動を円滑に進めることができます。拷問被害者は不法者とみなされ、彼らの都合のいいようにリンチを繰り返されてしまいます。日本の政治組織の中枢だけではなく、さまざまな団体にアベターは入り込んでいます。法律を悪用しているのではなくもともと彼らの社会が合法的に建てられています。大量殺人が報道されないのもそのためです。このような状況での生存が難しく、数十年以上存在しているにもかかわらず拷問被害の訴えは非常に限られているのはいたしかたのないところなのです。
兵器侵入に気づく前に遭っていた事を克服することは重要
多くの方は長期間被害に遭っていることを知らずに生活してきたり、部分的な被害にしか気づかないまま過ごしているとおもわれます。自分のまわりにアバター兵が常駐していても、ちょっと彼らの表情がぎこちないという程度で、生身の人間と区別することは困難です。私の場合では1998年に被害を気付き始める前に相当な侵入を受けてしまっていたようです。兵器侵入があまりに奇抜なので忘れがちですが、それまでの期間が安全だったわけではありません。実際のところ、人格を変容させるような虐待がかなり続いており、自分の人生と呼べるような期間がなかったという状態に近いです。毎日兵器の攻撃にさらされてしまう現在の状況もかなりひどいですが、それ以外に本来の自分が生存していたと確証できる恵まれた期間があったというのはおもいすごしになっているかもしれません。兵器攻撃に遭っている以前の生活に戻りたいという感覚はおこりますが、本当はそれ以前に自分が生きている時間があったとはいいがたいものでした。かなり早い時期から周到な虐待は始まっており、兵器侵入以前の生活がすでに人格の破壊を受けた悲惨なものであった可能性がたかくあります。現在の兵器侵入を元に戻す方法はまだ見当たらないのですが、重大な苦痛が過去に発生していたものを放置するのは望ましくありません。何の意味もない被害の繰り返しを避けるためにも、いままでおきているすべてのことに妥協なくたいしょしていく必要があります。
悲しい話ですが、長い間被害者をつづけていると差別みたいなものが安心感になってしまっているおそれ
恒常的拷問にさらされている人々が社会でもかなりとんでもない扱いをうけているわけですが、感覚的にマヒしちゃってるというのがしかたのないような状況です。被害者の会には長いこと参加していませんが、この武装侵攻に対して現代の常識的な感覚できちんと評価し対応する努力ができているのか非常に心配になります。ほとんどの被害者は何十年もの間一般的な人間的生活をはく奪されてしまっているでしょうし、ノン・リーサル・ウエポンとはいっても、この方法が最悪の虐殺手段であることは間違いありません。とにかくすぐに効果をあげることをやっていかないとおしまいです。生死の際にある人たちが集まっている割には一体どうしたんだと思います。日本も銃を解禁してしまえば、社会が安全になって人々の知性も機能するのではないでしょうか。もう20年くらい前にテレビの被害にあってしまってから当たり前の1日とういうのがまだ取り戻せていませんからどうにかしたいですよ。遠隔よりもやばい奴らにわたしたちは囲まれつづけているわけで、ほとんどの人がだまって殺され続けているのですから、このような悲惨な状況は放置しないでもらいたいですね。
平和主義が大量殺人の象徴になってしまわないために
平和なのに殺人があるのがあべこべではないのなら、戦争で殺人があるのがあべこべなのか。これからの戦争はつぎのようになるかもしれません。「北朝鮮と戦争を開始しまーす」、「では北朝鮮にお米を届けましょう」、「では北朝鮮にお金をとどけましょう」、「では北朝鮮にお花を届けましょう」。たぶんこうなります。だからこれからの戦争に反対する人は悪い人です。まあ信じるも信じないも自由ですが・・。平和社会で虐殺があるというのが異様にきついのです。生死のふちに立つことを強制されている人々がいる一方で、社会ではどうでもいいことしか行われていません。兵器侵攻は同じでも日本は戦場よりずっとたいへんな区域です。もちろんこういった『理想的環境』を利用することが殺人者のねらいでしょう。背中に火が点いたのを消しているというのでは論外なのです。この技術の悪用は1950には開始さており、犠牲者も相当な規模にのぼります。人類に対する脅威がそれ以前に見過ごされるわけはありません。かつてのナチ気質は近年、計画的に一般人に植え付けられ殺人活動の公然化が推し進められています。マスメディアどれだけテロ行為を繰り返しても『ナチ党員』の群れに支持されます。政治家のナチ社会への便乗もとまりません。原子爆弾の目くらましはかつてない世界的殺戮の拡大を効果的にすすめました。戦場に逃げ出す前にもう一度『平和社会』について考えてください。ここは安全な戦闘地帯ではありません。日本という最大の困難のなかで生存を得ることはまさに超人的努力なのです。「野蛮人が氾濫していまーす、はやくころしてくださーい。」
無能行為への対策としてはスパイと被害者の対立は本質的ではなかった
これまで世界中でたいへん多くの人々が、人体実験の被害を主張してきました。このできごとは、非常に急を要する深刻な問題です。しかし、わたしはその訴えが片手落ちになってしまっているように感じていました。それが、わたしがどうにか訴えようと試みている洗脳の問題です。
多くの被害者は著しく困窮しています。世界中の主要機関にデマニュースが横行し、敬虔な人々が社会からいわれのない酷烈な差別により、命を危険にさらされたり奪われたりする状況は、まったく想定できないものでした。洗脳状況にたいして今すぐにでも行動しなければ、ほとんどの被害者の生命はみこみがない差し迫った状況にあります。また、無知な人々によるナチ行動が平然と発生しています。
そこで、わたくしは社会的知性を健全に保つために、異常化を止められない方々に対して、無能行為の停止というあたりまえの要求をしっかりとおこなうべきであると考えます。たとえば、知性や知能がすっぽぬけた方が、公然と先生職を標榜するなど、まったくもって人格的行動たりえねい野蛮な活動が、あまりにも蔓延しています。いつまでもこのような状況に見て見ぬふりをしていてもよいのでしょうか。
世界中の膨大な被害者たちは、社会的に不当な扱いや、ナチ行為にさらされつつも、このことを十分伝達しませんでした。彼らは訴えの矛先を電磁波兵器や、ストーカー行動などに向けました。あまりにも非道な扱いをわたしたちはわたしたちの社会の中で受けてしまっているということ、またその激烈な暴行によって、甚大極まりない損傷をこうむっているといることを簡単には主張できませんでした。兵器技術などに特化した訴えは、彼らの自分たちが犠牲になっても、かつての同胞を守りたいという必死の執念によって作られたもので、許容され得るはずのない非人道的な社会の中の構成員を、暗に、強引にかばいたてるためのものでした。それにもかかわらず、社会的暴走は深刻化し、被害者へのナチ行為もやまないという状況です。
たしかにスパイの行動は間違っていますが、実際のところわたしたちの社会そのものの中に発生している危険と比較して小さいのです。わたくしは、洗脳行為そのものへの対処や、社会的知性の健全化がなければ、被害者救出は不可能と考えています。そのためには、スパイの行動に惑わされずに、より重大な危険に対処する必要があります。いわば、スパイと被害者の対立はみせかけのものであって、本質的に食い違っている部分は、その点ではなかったのです。つまりスパイ活動者の知性は人類の標準よりちょっと低いというレベルであって、健常な知性を扱う可能性がまだ残っていたということなのです。
おおかみとだまされなかった七ひきの子やぎ
あるところにお母さんやぎと七ひきの子やぎがいました。お母さんやぎは森にえさを探しに行こうとおもいました。「今から森に出かけるからね。いいかい、おおかみにだまされてはいけないよ。お母さんはやさしい声をしていて足は真っ白できれいだからね。」「はーいお母さん。」子やぎたちの声をきいてお母さんやぎは安心してでかけました。ところが、家の裏でおおかみは聞き耳をたてていてこの話をすっかり聞いてしまったのでした。おおかみは「しめしめこれはチャンスだ」とおもいました。
おおかみは街に行ってチョークを買いそれを食べて声をきれいにしました。また、粉屋をおどして足をまっ白にぬらせました。おおかみは子やぎの小屋にもどりドアをたたきながらいいました。「お母さんが森からいいものを持って帰ってきましたよ。」一ひき目の子やぎはいいました。「たしかにきれいな声をしているね。でも足は真っ黒じゃないかな。」おおかみは前足を窓にかけて「お母さんのまっ白な足ですよ」といいました。いちばん年下のやぎがいいました「お母さんかな。」
別のやぎが言いました。「きれいな声でまっ白なあしをしているね。じゃあ森からなにを持ってきたのかいってみてよ。」なにも持っていなかったおおかみは少し困って「えーと、どんぐりの実とハチミツとイチゴを持ってきましたよ。」といいました。
残りのやぎは笑いはじめました。「あんたはへんそうしたおおかみだろ、わかってるんだよ。」「なにをいってるのお母さんが帰ってきましたよ。」「きっとさっきのお母さんの話を聞いていたんだね。それで変装してきたんだ。」「おかあさんはきれいな声もしていないし足もまっ白じゃないんだ。」「どうしたの子やぎさんお母さんですよ。」「お母さんは昔はきれいだったのさ。でも今は声はしわくちゃで足も黒ずんでいる。お母さんは昔語りがやめられないだけなんだ。だからあんたはおおかみだよ。」
「話がちがうじゃないか」といっておおかみは小屋のドアをドンドンたたき始めました。「お前らがドアを開けて出てこないのならいったいどうなるか覚悟しろよ」といいました。そのときほんもののお母さんやぎの「かえってきましたよ」という声がきこえました。子やぎたちは「まずい」とおもいました。
よろこんだおおかみは「お前たちの大事なお母さんが帰ってきたようだなひっひっひ」とわらいながら帰ってきたお母さんやぎの方をみました。そこには毛並みはぼろぼろで、ほお骨はやせているが小太りの牛のようにも馬のようにもみえる耳の飛び出した奇妙な小動物が立っていました。あ然としたおおかみは「えーいこんなBBAが食えるか」といい捨てメエーと鳴きながら逃げ去ってゆきました。
子やぎたちは喜び「お母さんこわかったよ」とかけよりました。お母さんやぎは「よくおおかみがきてもドアを開けなかったね」といいました。「おおかみがこわい声で足がまっ黒だったからすぐにわかったんだ」と子やぎはいいました。
(おしまい)