3 mars 2016
平和主義が大量殺人の象徴になってしまわないために
平和なのに殺人があるのがあべこべではないのなら、戦争で殺人があるのがあべこべなのか。これからの戦争はつぎのようになるかもしれません。「北朝鮮と戦争を開始しまーす」、「では北朝鮮にお米を届けましょう」、「では北朝鮮にお金をとどけましょう」、「では北朝鮮にお花を届けましょう」。たぶんこうなります。だからこれからの戦争に反対する人は悪い人です。まあ信じるも信じないも自由ですが・・。平和社会で虐殺があるというのが異様にきついのです。生死のふちに立つことを強制されている人々がいる一方で、社会ではどうでもいいことしか行われていません。兵器侵攻は同じでも日本は戦場よりずっとたいへんな区域です。もちろんこういった『理想的環境』を利用することが殺人者のねらいでしょう。背中に火が点いたのを消しているというのでは論外なのです。この技術の悪用は1950には開始さており、犠牲者も相当な規模にのぼります。人類に対する脅威がそれ以前に見過ごされるわけはありません。かつてのナチ気質は近年、計画的に一般人に植え付けられ殺人活動の公然化が推し進められています。マスメディアどれだけテロ行為を繰り返しても『ナチ党員』の群れに支持されます。政治家のナチ社会への便乗もとまりません。原子爆弾の目くらましはかつてない世界的殺戮の拡大を効果的にすすめました。戦場に逃げ出す前にもう一度『平和社会』について考えてください。ここは安全な戦闘地帯ではありません。日本という最大の困難のなかで生存を得ることはまさに超人的努力なのです。「野蛮人が氾濫していまーす、はやくころしてくださーい。」
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