12 septembre 2018
地域災害で一時的には電磁波被害者は社会に近づいたが排斥は大変。
地震・停電は電磁波被害者に一時の安息を与えていたかもしれません。確かに北海道に住んでてこんなことはなかったので不思議ではあります。私たちが最も困窮させられている、彼らの日常からは逃避できたことでしょう。しかしながら依然として隔たりは大きなものです。電磁波被害者が社会に近づいていたのは一種の錯覚でしょう。
電気は止まっても電磁波被害に変わりはありませんでした。ホームセンターに2時間並んでる間、工作者が絶えず出入りしましたがどうしようもできませんでした。工作者は人間よりゴリラのほうが賢いと談笑していましたが大きな誤解です。子供をウロチョロさせてこっちが気を取られたらどやす、これは年中やられています。電磁波被害者は市井の中で公然と苦痛を加えられていますが、その他の方々に聞く耳がないので取り締まれません。電磁波被害者は一般市民から生命の危険を受けており大変な利害関係があります。
あえて北海道の肩を持てば停電の時の交通マナーの良さには驚きました。信号がなくて大変なはずなのにむしろ事故が少なくなっていたかもしれません。電磁波被害が続いている間に電気の要らない信号の時代が訪れていたようです。停電時にひったくりというような話はすぐラジオに流れるのですが、良い点の扱いが報道で少ない気がします。